玉藻前は中国の周にいた時は「褒姒」と呼ばれていた。「ブギーポップは笑わない」との意外な共通点とは?!ー褒姒編ー

玉藻前は中国の周にいた時は「褒姒」と呼ばれていた。「ブギーポップは笑わない」との意外な共通点とは?!ー褒姒編ー

これまで玉藻前の過去編とも呼べる「妲己」、「華陽夫人」と来て今度はまた中国に舞い戻ってきます。

妲己として封印された白面金毛九尾の狐は、復讐の時を伺っていました。一旦インドを荒らした彼女ですが、やはり諦めきれないのか中国の周では「褒姒(ほうじ)」となります。

いったい九尾の狐は褒姒としてどんな人生を歩んだのでしょうか?

褒姒の伝説をお話して行きたいと思います!そして、意外にも「ブギーポップは笑わない」との共通点も見えてきますよ!

玉藻前ー(西)周の褒姒編ー

周の王である幽王(ゆうおう)の時代、妲己を倒した武王から数えて13代目の王になります。(初代の文王から数えると12代目)

周の国は大変平和な国で、武王が亡くなった後も代々引き継ぎ、200年以上周の時代が続いていた時のこと。

平和だった周の王となった幽王は、乱暴で恩も少なく、家臣を軽んじて愛人にうつつをぬかしてばかりいるような王で、正しい政治をしているとは言えない王でした。

そんな王の姿に眉をひそめていた頃、山が次々の崩れるなどの天変地異が起きます。

賢臣である趙叔帝(ちょうしゅくたい)「天変が続くのは、世が乱れる兆しです。」と言って、王が正しい政治をするように諫めると、王は怒って超叔帝をクビにしてしまいます。

それに対して、諫義大夫(がんぎだいふ・王を諫める任務の官職)である、褒珦(ほうきょう)「良くない自然現象がおこるのは王に人徳がないのを戒めているのです。なおかつ超叔帝は賢臣です。今すぐに戻して下さい」

と言うと、当たり前のように大いに怒った幽王は褒珦を捕らえてしまいます。



美少女「褒姒」現る

褒珦は褒城と言う県出身で、故郷に妻子を残して囚われの身となってしまいました。家族は嘆き悲しみなんとかして助け出そうと摸索していたところ、褒城に住む一人の少女の存在を耳にします。

女の子は生まれつき清らかで麗しい姿は他に類を見ないほどの美少女っぷりでしたが、少女の家は貧しく、食べる物の困った時は「少女を売ろう」と考えていた家族。

この話に目を付けたのは褒珦の息子である褒洪(ほうこう)。褒洪はさっそく少女を100円で買い取り、更に美しく着飾らせて朝廷に献上したのです。

「私の父は帝を諫めて、故郷の家族は悲観に耐えられません。この美少女を差し出しますので、どうか罪をお赦し下さい。」と褒洪水は頭を深く下げました。

幽王が例の少女を見てみると、年は14歳頃でその容姿は話の通りの美少女だったので、王は大いに喜び速やかに褒珦を解放しました。

幽王は大変な女好きだったので、褒洪の読みは見事に当たりましたね!

そして、このもらい受けた美少女の名を、出身地の名から取って「褒姒(ほうじ)」と名付けました。

王は褒姒を後宮に入れ、その寵愛は厚く昼夜淫楽に耽り、政治もまともに行わなくなり、前よりももっとひどい状態になって行きました。 

今までの、妲己と華陽夫人の時とやっていることは同じですね。ただでさえダメな王なのに、もっとダメな王にしてしまう九尾の狐の得意技です。

そして、遂には本妻の申氏(ぶんし)と、息子の宜臼(ぎきゅう)を追いやって、褒姒を皇后にし褒姒が産んだ息子・伯服を皇太子にしてしまいました。



「ブギーポップは笑わない」ならぬ褒姒は笑わない

そんな輝かしい日々を送っていた褒姒でしたが、彼女にはある不気味な特徴がありました。

それは、「笑わない」と言うことです。幽王と昼夜遊んでいても笑わない褒姒。皇后になっても、子供を産んでも、何をやっても笑わない褒姒に幽王は「どうしても笑わせたい!」と佞臣(王にへつらう家臣)の虢石父(かくせきほ)と話し合って「褒姒を笑わせることが出来たら褒美として千金を与えよう」としました。

そして、彼女には‘‘変態”的な性癖がありました。王が強引に性行為に及ぼうとした時、褒姒の服がビリッと破けてしました。その、「ビリッ」と破ける絹の音に興奮した褒姒に王は喜び、それから行為に及ぶ時には必ず服を「ビリッ」と裂いてから行うようになったとか。

こうして、周には全国から大量の絹が周に集められるようになったのです。


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褒姒、ついに笑う

先代の王の時代に、城の外に烽火台(のろしだい)を置いて、帝都に異変があった時に諸侯に駆けつけてもらうために烽火をあげていましたが、ここ数年は太平の世であったため烽火台をあげることはなかったのですが、これに目をつけた虢石父が「あした烽火を上げて皇后を喜ばせよう!」と言って、幽王は「そうしよう!」と大いに喜びました。

その事を命じられた群臣は王を諫めて、「烽火は緊急事態のためと、諸侯に忠誠を誓わせるためのものです。理由もなく烽火を上げて、もし本当になにかあった時にどうするのですか?!」と申し入れたが聞き入れられず、遂に烽火をあげてしまったのです!

幽王と褒姒はその光景を展望楼から眺めていると、都近くにいた諸侯は軍を引き連れてやってくるのが見えました。

ですが、当然なにも異変が起こっていない城を見るや、諸侯と軍たちは「何も起こっていないのかよ?!え~~~~!?!?」って感じで、唖然としてガックリと肩を落としてしまいます。

そんな諸侯たちの姿を見た褒姒は「わっはっはっはっは~~!!!」と大笑いしたのです。

褒姒が笑った姿を初めて見た幽王は大喜びし、虢石父に褒美を与えたそうです。

そんな幽王の戯れを見た諸侯たちは「王位は長く続かないだろう」と罵って帰りました。



オオカミ少年のような話

「褒姒の言うことは聞くな」と前皇后の父の申候(しんこう)も諫めたが、当然怒った幽王は申候を捕らえ、遂には申の国を滅ぼそうとします。

驚いた申候ですが、申は兵も少ない弱小国だったので、近国の西夷国の犬戒(けんじゅう・周の西北に住む異民族の名前・一説に遊牧民らしいが詳細不明)に助けを求めると数百の軍勢を率いて勢いよく駆けつけてくれたのです。

帝都に乗り込んだ犬戒の軍はたちまち城を何重にも取り囲みました。

幽王はその事態に慌てて烽火を上げて諸侯の兵を召喚しようとしましたが、諸侯たちは「どうせまた幽王のお戯れだろう」と思い誰も信じる者はなく誰一人城に向かわなかったのです。

元祖オオカミ少年のようなお話ですね!


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西周、滅亡する

そうしている間についに犬戒が乱入し、火を放って宮室を焼きはじめたので、幽王は慌てて城を逃れて山の下まで来たところで、追ってきた兵に討ち取られました。

そして、申候と犬戒は「幽王の非道は褒姒が引き起こしたのだから、逃してはならぬ!」と、後宮に入り褒姒を捕らえ引き出して、最後は首を切り落とされてしまいました。

こうして、周(西)は滅亡します。この、申候が幽王を殺した事件を歴史上では、「申候の乱」と言って紀元前771年に起こった反乱です。

その後、追いやられていた皇太子の宜臼を在位させ、平王となりました。

平王は14代目周王なんですが、都を東に移したことにより平王から東周と言う名称になります。そして、今までの周は西にあったことから後に西周と呼ばれるようになりました。

ちなみに、東周はその後25代まであり、515年間続きました。これが漫画「キングダム」でお馴染みの‘‘春秋戦国時代”の幕開けとなっていきます。

そして、そして、処刑された褒姒の息子はと言うと、母の故郷へと追放され、現地民として暮らしていました。が、当然その経緯の始終は民の知るところとなっていましたので、村から追放されそうになった時に、たちまち美しい女の姿に変わり、何処へともなく行方を晦ませたのです…。



ブギーポップは笑わないと九尾の狐

「ブギーポップは笑わない」は上遠野浩平先生のライトノベル作品で、「ブギーポップシリーズ」として関連作品や2000年と2019年に2回アニメ化されました。

そんな「ブギーポップは笑わない」と九尾の狐には意外な共通点があったのです!

先のお話であった‘‘「ブギーポップは笑わない」ならぬ褒姒は笑わない”なんてギャグか!?と思いきや、そこには実に深い関連性があったのです!

それはまず、褒姒の出生の秘密にまで遡ります。

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褒姒、誕生の物語

時は幽王の父の宣王(せんおう)の時代、宣王はとても良い王だったのですが、ある日の事。

夜になると、子供が手拍子を打って「月が登ろうとしている。日が沈もうとしている。桑の弓、箕の服。周を滅ぼそうとしている。」と歌っていたのです。

この歌を聞き驚いた宣王は最高官の一人に占わせた結果「後世に女王が国を乱し、禍いとなる。」と言う結果が出たので、王は「宮中に怪しい者はいないか?」と問うと、「先の王・厲王(れいおう)の側室に盧氏(ろし)と言う25歳になる美女がいまして最近女子を産みました」と言うので、怪しいと思った宣王は盧氏に話しを聞いてみることにしました。

盧氏の話によると、「先代の厲王の狩りのお供にをした時に、道の傍らに塚が2つ、碑が1つありました。文字が書いてあるので、諸官に読んでもらうと、『これは昔、夏の桀王(けつおう)の時(夏は中国最古の王朝・桀王は夏の最後の王)に、褒城に神人がいた。2つの龍に姿を変えて、桀王の前に出た。王は恐怖のあまり龍を殺し、龍は泡を吐いて死んでしまった。その泡を壺に入れて箱の中にしまった。その後、縁起の悪いものは宮中に置いてはいけないと、外に出して土深く埋めてその上に塚を建てた。』と書いてあった。

そして、もう一つの塚の碑については『紂王を惑わせた妲己を生け捕って斬ろうとすると、年老いた狐の姿を現し飛び去ろうとしたところを、太公望が討ち取らせた。悪狐の死骸をここに埋めて後世誰も掘り起こさないようにと、塚と碑を建てた。』とあった。

その話を厲王も聞いていて「害を成した畜生の死骸が祟るわけないない。ずっと前のことなんだし、もう怒りはしないだろう。さあ、開けてみよう!」と命じたのです。

その発言に諸臣はビックリして「そのような不吉なものをどうして見たいと言うのですか!開けてみたところで良いことなんて一つもありませんよ!あの大賢奇才の太公望が開けないように!とした物をどうして破るのですか!?このままにしておきましょう!」と助言しました。

ですが、厲王は怒って「早く開けろ!中に何かあったらそのまま持って来い!」と言ってそそくさと帰ってしまったのです。

厲王の命令に渋々従った官人は仕方なく人を集め、碑の下から塚の内までくまなく掘らせると、大きい石の蓋があり、これを大勢でヨイショ!と持ち上げると、一つの壺が見つかった。

引き上げてみると、壺には鉄の鎖が巻き付いていた。そして、もう一つの塚の下にあった朽ち果てた箱と壺を手に入れた家臣はそれらを持って帰り、王のもとへと差し出した。

厲王の目の前には二つの壺。ます、鎖が巻いている「龍の壺」から開けてみることに。蓋を開けると一握りの‘‘白いもの”を出してそばに置いた。お次に「狐の壺」を開けてみたが中を見ると何も入ってはいなく、底に少しの水が溜まっているだけ。

そして、集まった諸官たちが女官を誘って「どれどれ」と中を覗いていたところ、不思議なことに狐の壺の底に溜まっていた水がふつふつと湧き上げる音がして次第に泡となってしまいました。そして、ついには壺から高く溢れ部屋中に白い塊となって流れ出てくると、1つの‘‘玄亀”となってしまいました。(げんき・中国の亀の姿をした霊獣)

その泡にみんなビックリして避けて「いったいどうなっているのだ?!このまま放っておいてもいいのか?!」と叫んでいる諸官たちの中で、当時7歳だった盧氏は、子供ゆえの好奇心からか、玄亀を見ようと泡の中を走って行きました。亀の足跡を辿って行くと、不思議なことに泡が出ていた壺が元のように鎮まり、部屋の中に溢れていた泡も亀と一緒にいつの間にか消えて、全て何事もなかったかのように元に戻っていたのです。

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盧氏、まさかこの時7歳だったとは20年近く前の話じゃないですか!

そして、なんと盧氏はその秋に7歳で子供を身ごもったのです!これには厲王も「男もいなく、幼くして身ごもるのはおかしい」と言って、もちろん処女受胎だったのです。

ですが、月日が流れても子供が生まれずが、やっと、25歳になった今に女の子が産まれた。と言う話ですが、この子は「不吉な子だ」と言うことで、城の溝に浸けて死なせました。と言うことでした。

この話を聞いた宣王は「これは先王の厲王が残した災いだったのか…」と静かにつぶやきました。

実は、厲王は‘‘暴君”と言われていた王で、後世に、夏の桀王と、紂王と厲王で「三大暴君」と呼ばれていました。

ですが、諸官の有司が「まだ災いの兆しがある!」と言って自分の占いの結果を話しだしました。

有司の話によると「長安に夫婦がおり、夫は山桑に弓を背負い、奥さんは箕草で織った袋を背負って商売をしていた。占いではこの女が禍いがあるとして女を捕らえております。」と言う事だったのです。

この話出て来た「山桑の弓」「箕草で織った袋」は最初の、子供が歌っていた不吉な歌に出てきましたので、有司は「これだ!」と思ったのでしょう。

そして、この女を処刑してしまったのです。

その時、林に隠れ難を逃れていた山桑の弓を背負った夫は、赤ん坊の泣き声が聞こえたので、怪しんでみると、女の赤ちゃんが草の上に捨てられ鳥たちご覆っていたところを拾い上げた。

「私の妻は朝廷に捕らえられてしまった。多分助からないだろう。この子を育て老後の頼みにしよう」と抱っこして褒城で暮らしたと言うことでした。

そして、この赤ん坊が後に美少女へと成長した「褒姒」だったのです。



夏を滅ぼしたのも九尾の狐?

末喜。「新刊古列女傳」(阮福 編、1825年ごろ) より

そして、実は泡の壺が生まれた「夏の時代」の滅亡にもこの九尾の狐が関わっていると言われています。漫画「封神演義」には、九尾の狐は妲己になる前は、夏の時代の最後の王、桀王の妃の「末喜(ばっき)」であったとなっています。

名前も、‘‘だっき”と‘‘ばっき”似てますもんね!ですが、末喜も、妲己のようにいつも酒池肉林の宴会を行っていました。そして、「褒姒」にも酷似したエピソードがあります。

末喜も、絹が引き裂かれる音が好きで、高価な絹がつぎつぎと集められその音を聴くたびに笑った。

と言う話も残されています。

ですので、夏王朝の滅亡に関してもこの、白面金毛九尾の狐が関わっていたと推測されます。

また、「夏王朝」に関しては、いろいろな謎が沢山ありますので、どこかの機会にお話できたらと思っています。

泡から産まれた褒姒

このように、褒姒は「龍が入っていた壺」と封印から解かれた「狐の壺」とが合体して出来た「泡」から産まれた存在でした。

処女受胎した子が約20年の時を経て産まれ、殺したはずの子が実は生きてて、それがあの、褒城で貧しい生活をしていた14歳の美少女だったんですね~。

また、‘‘不吉な歌”に出て来た‘‘山桑の弓”の男性に拾われて育てられていたなんて、伏線回収ですよ。これ。

そして、注目したいのが「泡」と言うことです。

ここで、また「ブギーポップは笑わない」の話に戻りたいと思いますが、実は‘‘ブギーポップ”とは不気味な泡」と言う意味なんですね。

褒姒もとても「不気味な泡」から産まれました。そして、「不気味な泡から産まれた褒姒が笑わない」なんて、褒姒の存在そのものがもとても不気味で、もうブギーポップと呼びたいぐらいです。(笑)

「笑わない」だけで不気味なのに、ミステリアスで、何考えてるか分からなかったり、変態的な性癖だったり、今までの妲己や華陽夫人とは違う‘‘不気味さそのものが魅力”でもありますよね。

そして、ブギーポップが「口笛を吹きながら人を殺す」「死神」と呼ばれているぐらい、九尾の狐と同様に残忍で猟奇的な存在です。

そんなブギーポップと白面金毛九尾の狐の共通点ですが、これだけではありません!その先にはもっと深い因縁が隠されているのです!



ブギーポップと白面金毛九尾の狐は「世界の危機」に動き出す?!

出典:TVアニメ「ブギーポップは笑わない」公式サイト

ブギーポップの正体は「宮下藤花」と言う少女の別人格であり、ブギーポップは「世界の危機をきっかけにして、無意識化から自動的に現れる。と言う性質を泡に喩えて、沸々と静かに湧き上がる感覚を「不気味な泡」ブギーポップと自称しました。 考えてみれば、褒姒も九尾の狐の「別人格」と捉えることも出来ます。

そして、ブギーポップは「世界の敵の敵」と呼ばれるくらい「世界の敵」と見なした者を容赦なく殺します。

人を殺すかって?ああそうだよ。だから君たちは僕のことを死神と噂するじゃないか。

引用:「ブギーポップは笑わない」アニメ17話

と言うくらいやはり殺します。

そしてその理由として、

それが僕の仕事だからね。殺す相手が、世界の敵だったりするからね

引用:「ブギーポップは笑わない」アニメ17話

としています。さあ、ここで白面金毛九尾の狐の話に戻りますが、妲己の物語の中国の封神演義は、「天が王を定めて、その天が王を見限った時に革命が起きる」と言う易姓革命と言う考えを元に話しが出来ています。

この話によれば、白面金毛九尾の狐は妲己として紂王を失脚させるように天から使わされた。と言うことになります。

これ、ブギーポップも同じことになりますね。

咲子が「殺す相手はどうやって選んでいるの?」と言う質問に対してブギーポップはこのように答えています。

僕に選択権はほとんどないね。自動的に殺される相手が僕の前にやってくることが多い

引用:「ブギーポップは笑わない」アニメ17話

この答えからすると、ブギーポップも殺す相手を自分で選んでいる訳ではなく、殺していい相手とは‘‘自動的に出会う”と言う事になります。そして、白面金毛九尾の狐も、今まで出会った紂王や、班足太子、幽王、鳥羽天皇とは出会うべくして出会った。自動的に出会った。と考えられます。ですから、ブギーポップも、九尾の狐も「天から使わされた死神」と言ってもいいのではないか?!とアニスピカでは考えます。

ブギーポップも「殺していい人間だから殺した」九尾の狐も、「殺していい人だから殺した」

ですが、人間の倫理的な観点から言えば「殺していい人間などいない」と、ブギーポップは笑わないでも、咲子が言っています。

ブギーポップにしてみてばこれが「世界の危機」に繋がる。と言うことなのでしょう。

そして、九尾の狐から言わせてみてば紂王などの王の存在は同じく「世界の危機」なのです。

「世界の危機」に動き出す。と言えば、殺生石についても、そんな理由で白面金毛九尾の狐は動き出したのかもしれませんね…。

だんだんと、九尾の狐の全貌が見えてきました!って言うことで、次回は白面金毛九尾の狐の正体に迫りたいと思います!