【ラブライブ!サンシャイン!!】幻日のヨハネと作家芹沢光治良の凄い共通点それは‘‘ヨハネ”?【沼津】

【ラブライブ!サンシャイン!!】幻日のヨハネと作家芹沢光治良の凄い共通点それは‘‘ヨハネ”?【沼津】

今期新作アニメ‘‘幻日のヨハネ-SUNSHINE in the MIRROR-”この作品と作家芹沢光治良には意外な共通点があります。

知ってる方は、静岡県の沼津じゃないの?と思うかもしれませんが、実はも~~~~~っと深い共通点があるんです!!

キーワードはズバリ「ヨハネ」です!!

幻日のヨハネとは?

出典:アニメ「幻日のヨハネ-SUNSHINE in the MIRROR-」

それではまず、アニメ作品「幻日のヨハネ-SUNSHINE in the MIRROR-」及び、ラブライブ!サンシャイン!!についてお話していくことでだんだんと見えてきます。

この作品は、静岡県沼津市を舞台にした「ラブライブ!サンシャイン!!」のスピンオフアニメになっています。

物語の主人公「ヨハネ」はラブライブでは‘‘津島善子”(つしまよしこ)と言うキャラクターです。

このラブライブのメインキャラクターのひとりである津島善子を主人公として描いた作品が「幻日のヨハネ」です。

そして、幻日のヨハネでは‘‘ヨハネ”と呼ばれる善子。善子なのにヨハネって名前なのなんで?と言う疑問を解いていきましょう!



善子がヨハネになった理由

出典:ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル ALL STARS(スク …

そう、それは・・・善子は「重度の中二病」だったのです!!

彼女はラブライブ作品内で古風な本名にコンプレックスを持っており、自分のことを「ヨハネ」と自ら呼んでいたのです。

他人から本名で呼ばれると、「善子言うな!ヨハネ!」と言うほど、「善子」が嫌いな様子。

普段着は小悪魔ファッションであり(現実で言う地雷系)、自身を「堕天使ヨハネ」と称しファンのことは「リトルデーモン」と呼ぶことも。

そんな善子(ヨハネ)、何故こんなに中二病に陥ってしまったかと言うと、小さい頃から上手く行かないことばかりで、だんだんと自分は「神が嫉妬した特別な存在」だからこんな人生が上手くいかないんだ!と思うようになり、そこから中二病になってしまいました。

しかも、それが原因で高校デビューに失敗したと思い込み不登校になったと言う過去まであるのです。

良くも悪くも「思い込みが激しい」性格の善子(ヨハネ)。

こうして、善子はヨハネになったのです。

その思い込みの激しさから自分のことを「ヨハネ」と思い込んでいる様子の善子。幻日のヨハネでは完全に‘‘ヨハネ”になりました!

そして、この幻日のヨハネと作家芹沢光治良とは意外な共通点があります。



作家 芹沢光治良

その前にまず、芹沢光治良ってどんな人?と言う方も多いと思うので作家芹沢光治良と言う人物を知っていきましょう。

●本名 芹澤光治良(せりざわ みつじろう)
●誕生 1896年5月4日 (明治29年生)
●死去 1993年3月23日 (96歳没)
●出身 静岡県沼津市我入道

作家デビューは34歳の時。自身の結核療養を元に書いた「ブルジョア」と言う作品が懸賞小説に当選し作家になります。当時の作家としては遅いデビューですが、これからが芹沢光治良の凄いところ。100歳近くまで執筆し続けます。

1965年には、友人である川端康成の後を受け「日本ペンクラブ」の会長を務めました。

とっても長生きした芹沢光治良ですが、あんまり有名ではないですよね?その理由に先生の存在はあまりメディアなので取り上げられる機会が少ないように思えます。例えば、文豪をモデルにした漫画・アニメ作品でもある「文豪ストレイドッグス」や、「文豪とアルケミスト」にも登場してもいいぐらいの人なのですが登場しません。と言うのも、彼自身作家の友達は少なく友人と言ったら上記で上げた川端康成や、放浪記で有名な林芙美子、大江健三郎ぐらいしかいないのが実情なので、アニメ作品にしたら少し描きにくいのかもしれません。(笑)

数いる文豪の中でもなかなかマニアックな存在の芹沢光治良先生ですが、その理由として、時に先生は「宗教的作家」と言われていることに由来しているのかもしれません。芹沢先生。実はとーーーってもスピリチュアルな人なのです!!



芹沢光治良と天理教

中山みき著/「図版日本近代史」/三省堂

芹沢先生とスピリチュアルの関係には切っても切れない天理教の存在があります。皆さん天理教はご存じでしょうか?奈良県天理市にある新興宗教。歴史は古く、江戸時代後期に初代教祖の「中山みき」と言う女性に‘‘親神(おやがみ)”と言う神様が降りてきて様々な天啓を受けたことから成り立ちました。

芹沢先生の両親はこの天理教の熱心な信者で、幼い時から祖父母に預けられ育てられます。

そんな幼少期を過ごした先生は「親に捨てられた」と思い、しだいに天理教を憎むようになって行きます。両親が教団にお布施をしたせいで生活が苦しいし、果ては天理教から中学を退学しろと言われたり。昭和7年には「鴉片」と言う天理教批判の小説さえ書いています。

そんな先生が関心を持ったのは「キリスト教」

留学した先のフランスパリでカトリックに触れます。特にこの頃患った結核が「人生を変えた」と言ってもいいでしょう。

先生はこの結核療養(スイスで)が「神」と言う存在を深く考え、自分と対峙するきっかけになったようです。そして、この体験が芹沢先生を作家にさせました。(処女作ブルジョア)

戦争中には疎開先で四福音書(マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝)を精読し、戦後の昭和21年には雑誌「新婦人」で評伝小説「聖書物語」を発表します。この中にはもちろん「ヨハネ」も出てきます!

特に、洗礼者ヨハネの衝撃的な最後、サロメがヘロデ王に「ヨハネの首が欲しい」と言って、切り落とされたヨハネの首を持ってサロメが踊る有名な話も書かれています。(マルコ伝)

キリスト教を深く深く研究していった先生。その中でだんだんと天理教に対しての気持ちが和らぐようになってきます。先生はイエス・キリストと天理教の教祖である中山みきとを自分の中で対比し、考え、自分なりの「神様像」を導くようになっていったのです。その象徴でもある作品が「教祖様」1950年~1957年)であると思います。

そして、1970年4月18日のこと、なんと芹沢先生の枕元に天理教の教祖である「中山みき」が立ったのです!スピリチュアル体験です!ですが、このような体験は序の口でこれから数々のスピリチュアル体験をすることになるのです!

そんなスピリチュアルな先生の集大成と言っても言い作品が1986年の時から毎年一冊つづ出版された通称「神シリーズ」と呼ばれる作品。現代で言ったら‘‘スピリチュアル本”と言ってもいいこの「神シリーズ」が最高傑作なのです!この時芹沢先生御年90歳!まさに神がかってます!

全8冊ある中でも、今回取り上げたいのは「神の計画(はからい)」と言う一冊。

この中に芹沢先生と「ヨハネ」に関する凄い真実が書いてあります。



神の計画

神の計画(はからい)は、全8冊あるうちの3冊目にあたり、1冊から始まった神シリーズの前半完結作品と言ってもいい作品です。

この神の計画には芹沢先生がなぜ「神シリーズ」を書くことになったのか?と言う経緯が書かれています。

実はそこには数々の凄いスピリチュアル体験が書かれていました。

親神様が降りて来る

先生が神シリーズは書くにあたってなんと、親神様(おやがみさま)と言う神様が降りてきて先生に神シリーズを書くようにと天啓が下ったのです!

この‘‘親神様”と言うのは、天理教の中山みきにも降りた神様です。

その神様が芹沢先生に降りてきたのです!中山みきが枕元に立ったことを上回るスピリチュアル体験が先生を待っていました。そして、親神様は芹沢先生に様々なことを教えます。

例えば、イエスも釈迦もマホメットも親神様が彼らに降りて神の社になったのだとか。(所謂神の代弁者) ですが、マホメットに関しては例外で、最初は彼に降りた天の将軍(親神様に仕える10柱の神様)がさまざまな教えを説き、マホメットも熱心に聞いていたのですが、しだいにその教えを己の私利私欲に利用する精神に変わっていったとしています。

そんなマホメットの姿を見た天の将軍は「マホメットは神の器にあらず」と親神様に報告します。そして、親神様も諦めます。

よってイスラム教のコーランは親神様の教えではないと、芹沢先生に教えてくれたのです。

このようにさまざまなことを教えてくれる親神様。

先生自身のことも教えてくれます。そう、それは「ヨハネ」と芹沢先生との関係です。

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芹沢光治良の前世はヨハネ?

そう!やっとです!きました!お待たせしました!ここでやっと今回のテーマである、「ヨハネ」へと繋がる真実が解明されます!

なんと、芹沢光治良先生の前世は「ヨハネ」だったのです!

神シリーズを書くようになってから度々先生の元に現れる親様(親神様は中山みきの姿で現れる)、8月15日も軽井沢の山の家においでになったのです。二晩お泊りになった親様から3回お話を聞いた先生は、3回目に自身の幼い時からの苦しみを再び回想しながら対話しました。

いつもお座りになっている赤い座布団から降りた親様は「さあ、今日は難しい話はやめるから、隣のおばさんだと思って、気軽に話し合おう」と優しくおっしゃってから話が始まります。

両親が天理教のために故郷の家を去って、僕がすてられ、孤児になった最初の朝であるが、初めて親様が僕に目をかけたとのことだった。それも実相の世界(神の世界)で、イエスから、僕が光のヨハネの後身であるからと頼まれて、母代わりになることにしたとのこと・・・・。

引用:「神の計画」167P/芹沢光治良/新潮社

さらーーーーーっと言ってますが、‘‘ヨハネの後身”すなわち、芹沢光治良はヨハネの生まれ変わりだったのです!

ですが、ここで一つの疑問が浮かびます。ヨハネってどっちのヨハネ?実は、ヨハネとは有名な人でも2人いて、1人は上記で取り上げた衝撃的な最後を迎えた話で有名な「洗礼者ヨハネ」そして、もう一人のヨハネはイエスの一番の弟子である「使徒ヨハネ」

どっち!?ってことで、本作品には明確には書いてませんが、ここで一つヒントがあります。

実は、神シリーズを書くにあたって、親神様からこんなこと言われていた先生。

親神にはじめて会った時、お前はヨハネのように三冊の本を書かなければならぬと命じたので

引用:「神の計画」43p/芹沢光治良/新潮社

と、あります!ここで重要なのは「三冊の本」と言うところ。本を書いたで有名なヨハネはあのヨハネしかいない!!



使徒ヨハネと芹沢光治良の共通点

福音記者聖ヨハネ/エル・グレゴ/1605年

そう!あの「ヨハネの黙示録」で有名な「使途ヨハネ」です。

使徒ヨハネは黙示録の他に、有名ものだと「ヨハネの福音書」「ヨハネの手紙」と計三冊を書いたとされています。(有名でないものを入れるともっとある)

先生は親神様に命じられて神シリーズを書くことになった訳ですが、読んでいる側も「どうしてヨハネのようになんだろう?」と思っていたら、芹沢先生が使徒ヨハネの生まれ変わりなら納得です!

と言うことで、芹沢先生の前世は「使徒ヨハネ」だったのです!!

また、使徒ヨハネと先生にはいくつかの共通点があります。

ヨハネは元は漁師の息子で自身も漁師だったのですが、芹沢先生も網元、漁師の息子として生まれました。

そして、そして、なんと言っても本を書き上げた年齢に注目しなければなりません。

おおよその年代ですが、西暦6年に産まれたヨハネは、西暦80~98年に「ヨハネの福音書」を執筆し、90~95年に「ヨハネの書簡」、そして、西暦95~98年に「ヨハネの黙示録」を書き上げます。

そして、最後の作品「黙示録」を書いた2年後の西暦100年に90歳近くでヨハネは亡くなっています。

芹沢先生も、今でも考えられないくらいの年齢で「神シリーズ」を書き上げ、96歳で亡くなる直前まで執筆していました。

ヨハネもまた、96年頃に流刑地パトモスで幻想を見て、神からの啓示を受け「黙示録」を書きました。芹沢先生も親神様が降りて神シリーズを書きましたね。

ヨハネも芹沢先生も神が降りて本を書かされたのです。

先生はこんな言葉を残しています。

「文学は 物言わぬ 神の意思に 言葉を与えることである」

先生にとって、作家とは「神の代弁者」である。との心です。実際わたしもこれは感じていて、ある種の‘‘さにわ”的に‘何か”に憑依されないと物って書けないと思っています。最近では漫画でもそうだと思っているので、漫画家の先生も‘‘降りてきてるな~ぁ”と感じます。(例えば荒木飛呂彦先生とか)

現に神シリーズを書くにあたって、「もう年だし、身体もボロボロ」と思っている先生に親神様から「91歳の体を50歳にするからっもっと書きなさい」と言われたようで、先生はこの神の計画を書き終えた後も、5冊も書き上げます。

芹沢先生の神の計画と言うタイトルにふさわしい内容の作品。

アニメ作品、「幻日のヨハネ」も‘‘ヨハネ”と言う名前は、実は芹沢光治良から来ている?!と思ってしまいますが、今のところ公式からの言及はなく非公式です。

じゃ、偶然なの?!だったら、これも‘‘神の計画”?!なんて思わず上手いこと言ってしまいますが、実は、芹沢先生とのご縁は幻日のヨハネだけでなく、元になった作品「ラブライブ!サンシャイン!!」から続いていたのです。



ラブライブ!サンシャイン!!と芹沢光治良

出典:ラブライブ!サンシャイン!!|作品紹介|サンライズ

ラブライブ!サンシャイン!!と言えば沼津!と言うことで、ラブライブは芹沢光治良先生と数々のコラボを果たしてします!

●国木田花丸ちゃんと芹沢光治良

出典:芹沢光治良記念館 – 沼津市公式観光サイト【沼津観光 …

文学少女である、花丸ちゃんが好きな作家は「芹沢光治良」と言うことで、公式でも芹沢先生の名前は出てきます!そして、これだけにとどまらず、花丸ちゃんがセンターを務めるAqoursの4thシングル「未体験HORIZON」のPVには芹沢光治良記念館が登場します。

その他には、公式ではないのですが、そうなんじゃないの?!とファンの間で言われている話は・・・。

●黒沢ルビイ
芹沢先生の幼少期に通った寺子屋の先生が、先生のことを「ルビイ」と呼んでいた。と随筆に残っているので、ルビイちゃんの名前の由来になったのではないか?と言う説。

●高海千歌
芹沢先生の幼少期に面倒を見てくれた叔父さんの奥さんの名前が「千賀」だったので、読み方同じだけど漢字が違う説。

●小原鞠莉
芹沢先生が高校時代に学費援助を受けていた実業家の安生慶三郎の娘の「安生鞠」と文通していたこと名前を取った‘‘鞠莉”説。

以上、公式、非公式含めてラブライブ!サンシャイン!!と芹沢光治良先生のご縁はこんなにも深いものでした。



幻日のヨハネと芹沢光治良

幻日のヨハネと芹沢光治良先生は「ヨハネ」と言うご縁で結ばれていました。

そして、なんとなくヨハネちゃんと芹沢先生は性格にも共通点があるように思えます。

それは、「思い込みが強いところ」と言ってもいいんじゃないかと思えます。

ラブライブの善子も「自分が失敗した」と思い込んで、登校拒否になってなってしまったり、実は、芹沢先生も善子と同じような年代で「自分がごくつぶしだと思い込んで自殺しよう」としてしまったり・・・

この‘‘思い込み”とはある種の‘‘魔法”になることもあります。

時に、この思い込みが良い方向に向けば凄い力を発揮することが出来ます!

そして、このヨハネの‘‘思い込み”が更にクローズアップされているのが「幻日のヨハネ」ではないでしょうか?

最初上京きっかけも、「自分は凄い歌手なんだ!」との思い込みで、都会でアイドルを目指しました。何の勉強もしてない占いも、「自分は凄い当たる占い師!」と強引に押し通してしまいます。

そして、ヨハネの思い込みの魔法が最大に発揮されたのは「ライラプスが喋る」と言う魔法ではないでしょうか?

アニメ12話「さよならライラプス」

出典:幻日のヨハネ/アニメ12話

ライラプスと喋れるのはもちろんヨハネちゃんだけ。

幼い時に拾った大型犬ライラプス。ライラプスとヨハネはいつも一緒で時に姉妹のように、時に母親のようにヨハネを守ってきました。

そんなライラプスと言葉を交わせるようになったのは、ヨハネが幼い頃、「自分は友達が出来ないんだ。ライラプスしかいないし、ライラプスがいればいい。」と思いながら、「ライラプスよ、ライラプス。おしゃべり出来る可愛いい妹にな~れ!」と魔法使いごっこをした時に、突然ライラプスが人間の言葉を喋って会話が出来るようになりました。

これも、ヨハネちゃんが「自分にはライラプスさえ居ればいいんだ!」と言う‘‘思い込み”が本当に引き寄せた魔法。心の力だったのかもしれません。でも、それは、‘‘寂しさから生まれた魔法”だったのです。

12話「さよならライラプス」でライラプスが人間の言葉を喋らなくなってしまいました。

それは、ヨハネちゃんが大人になったから。いや、成長した証拠だったのです。ヨハネちゃんが‘‘幻日”ならぬ‘‘現実”と向き合うようになったから。

そう、大人になると言うことは、‘‘思い込み”でゴリ押しするんじゃなくて、自分自身と向き合うことなのです。

前回の11話でも異変を解決出来た!と自惚れしていたヨハネちゃんですが、実はおさまっていなくて落ち込んでしまった。と言うお話しでしたが、これも‘‘思い込み”のゴリ押しが生んだ失敗でした。 そして、いままで通じて来たある種の‘‘思いも込みの魔法”が効かなくなってきたのは、ヨハネちゃんが成長した証でもあるのです!(当の本人自分で分からないからちょっとパニックになるけど(笑))

ライラプスも言ってましたが「魔法はいつか解ける」。しかも、ライラプスもヨハネちゃんと同じく、「自分はひとりぼっちでヨハネしかいなんだ」と思っていたのです。ライラプスが喋った魔法は2人の寂しさから生まれたある意味、「負の感情」の魔法です。

ライラプス自身もヨハネと一緒に成長したのです。二人は鏡。正に、‘‘ in the MIRROR”の副題にふさわしい回になりました。

また、ライラプスが言った「変わらないことが変わらない」この言葉はとーーっても深い言葉です。(後日どこかでお話しできればと思っています)

でも、ライラプスが喋らなくてもずっと一緒にいるし、なによりも一番無視してはならないヨハネちゃんの‘‘仲間”たち、ヨハネちゃんと一緒にヌマヅを救い守っていく仲間たちと、本当に自分がすべきこと。

こうして、ヨハネは自分の‘‘人生の道”を見つけたのです。

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●ヨハネも芹沢先生も自分の道を見つけた

芹沢先生は実は、ヨハネちゃんと同じくらいの年には、自分の人生が上手くいかなくて、悩んで悩んで‘‘自分はごくつぶしのダメな人間なんだ”と‘思い込んで地元の狩野川に飛び込もうとして自殺未遂までした過去があります。

小学5年生の秋(今で言う17歳くらい)、狩野川に投身自殺しようとして、その瞬間、対岸の赤富士に怒鳴られ、叱られて泣きながら中止したが

引用:芹沢光治良「神の計画」43p/新潮社

そして、この時死んでは駄目だと叱ってくれた声こそが、親神様だったのです。90を過ぎて分かった真実でした。

若い時は「神様なんていないんだ!神様は自分を助けてくれない!自分は一人おぼっちなんだ」と思い込んで辛い思いをしていた先生が、本当は「自分は一人ではなく、神様がずっと自分を守ってくれていた」ことに気づきます。

そして実は芹沢先生は、最初官僚として働いていて、作家になることなんて夢にも思っていませんでした。ですが、結核が自分自身と向き合うきっかけとなり、本当の自分の人生の道を見つけることが出来ました。

もしかしたら、作家以外は芹沢先生の本来すべき仕事ではないから、作家の道に行くように促されたのかもしれません。

ヨハネちゃんもそうです。東京でアイドルとして上手く行かなったのは、それはヨハネが本来すべきことではなかったのです。ヌマヅに帰って仲間と一緒に協力してヌマヅを救い守ることがヨハネちゃんの使命だったのです。

それは、神の計画。と言ってもいいんじゃなうだろうか?と思ってやみません。

以上、幻日のヨハネと芹沢光治良の「ヨハネ」が繋ぐご縁でした!

※実はヨハネについてはまだまだ書きたいことがあるのでまたの機会に!

参考:「神の計画」芹沢光治良